網干毅のリュート夜話 その3
リュートの対話は友情の、それとも愛の語らい?


 フランス語やドイツ語の名詞に、英語にはない「性」があることはよくご存じのことと思います。たとえばフランス語で「海mer」は女性名詞で、その海に注ぐ「大河 fleuve」は男性名詞という具合。そのため、このように言葉を母体とするに人々は言葉の中に、私たちには知り得ない独特の性的イメージを抱くのだそうで、今挙げた例でいうと、大河が海に注ぐという文章だけで性行為が連想されるのだ、という説をどこかで目にしたことがあります。なんでこんなことを思い浮かべたかというと、チェロやギターについて、その形状が女性の体に似ていることから、それらの楽器の演奏は女性をやさしく抱き、愛撫していることと共通する面があるのだといった話をよく耳にするのですが、果たしてチェロやギターは女性なんだろうかという疑問を待ったからなのです。で、辞書を調べてみると、たとえばフランス語では、チェロは男性名詞、ギターは女性名詞で、それでいくとギター奏者は確かに女性を抱いているけれども、チェリストは男性を日夜愛撫していることになります。ちなみにフランス語でピアノは男性、フルートは女性、ヴィオール属は女性です。けれどもこれらは全てフランス語の場合であって、ドイツ語でチェロは中性名詞、またイタリア譜でフルートは男性名詞ですから、必ずしも楽器と続びついている性のイメージはヨーロッパ共通のものではなさそうです。
 リュートについても同じことが言え、あのお尻の出っ張りからすると女性だろう、いやそれにしては胸の膨らみがないから男性かな、などとあれこれ想像するものの、リュートはフランス語、イタリア語では男性名詞で、ドイツ語では女性名詞ですから、これもまた共通してはいないのです。ただ、先にもお話したように、各国語では楽器とその音楽に、言葉の「性」からくる特有の性的イメージが付与されているかもしれず、ルネサンスやバロックのイタリア絵画にリュートを弾く女性が数多く描かれているのはその現れであるかもしれませんから、そんなことも頭においてあれこれ想像しながら音楽を聴くことも、音楽の楽しい聴き方の一つにはなることでしょう。
 さて、千里阪急ホテルのクリスタル・チャペルでの≪リュート音楽の楽しみ≫シリーズも第3夜、今宵のメニューは、リュートのデュオ。へえーっ、リュート二重奏の曲なんてあったんだと驚かれる方も多いに違いありません。かくいう私も、佐野さんのお宅で聴いたことがあるような気がするくらいで、演奏会で耳にするのは今宵がおそらく初めてです。ですから今宵がとても楽しみなのですが、けれども、リュート音楽が栄えた、16世紀後半から17世紀の後半の、残された楽譜を見てみると、リュート二重奏の作品は結構たくさんあるのです。イギリスを例にとると、エリザベス朝のリュート音楽史料(楽譜)の3分の2にはリュート二重奏曲が含まれていて、その数100曲近いと言われており、リュート・デュオがこの時代とても盛んに行なわれていたことが明らかとなっています。
 このようなリュート・デュオ曲をみてみるとその中には、リュートのレッスン曲として書かれたものがあります。ピアノのレッスンでも最初先生の伴奏で生徒が簡単な曲を弾きますよね。あのような練習曲なのです。今日も演奏される17世紀初頭に活躍したイギリスのリューティスト、トーマス・ロビンソンのリュート教則本 「音楽の学校」にはその冒頭に6曲のデュオ曲が載せられています。
 練習曲ではありませんが、パヴァーヌのような舞曲のリズムをまとい、一定の和音の流れを繰り返す伴奏(グラウンドと言ったりします)の上に、細かな音符のパッセージの変奏が展開するというリュート・デュオ曲も、このジャンルの、とりわけ初期の重要なレパートリーです。今宵演奏されるルネサンスのリュート・デュオ曲のところで、おそらくそのような音楽が多く聴かれることでしょう。
 さて、あと数年で16世紀も終わろうかという頃にリュート・デュオはさらに変貌を遂げます。進化といってもよいでしょう.二つのリュートが対等に音楽を作っていくという、デュオ本来の楽しさに溢れた作品が生みだされてきたのです。もうおわかりだと思いますが、練習曲もパヴァーヌも二つのリュートの間に主従関係があり、いくらデュオといってもそれでは本当の対話や協働にはならなかったのです。
 このような変化には、当時ヴェネツィアに興つた複合唱のスタイルの影響もあるのでしょう。和声的な音響の集塊が互いに呼び掛け合う複合唱の手法は、リュートにそのまま応用できるからなのです。今日の、フランスのヴィゼやゴーティエの音楽はどのような手法を聴かせるでしょうか。年代的にはずっと下るファルケンハーゲンの曲はそういったスタイルが色濃く反映しています。ただファルケンハーゲンの音楽からは、前古典派といってもよいロココ風の優雅な音の遊びが聞こえてきます。
 ソロにはソロの、そしてデュオにはデュオの魅力があるとはいえ、演奏する立場からするとデュオの楽しさは格別のものがあるといわれています。パッセージのやりとりに、また和音の一致にえも言われぬ心の触合い感じるからなのでしょう.ですから、もしリュートが男性だったらそこからは友情が、またリュートが女性だったとしたらそこから愛が生まれるのことでしょう。   

[No.3 Lute & Lute May.10]


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