網干毅のリュート夜話 その2
緑の袖はリュートの響きにひるがえって・・・


 古い時代の音楽の姿を知るには、絵に描かれた楽器や演奏の様子を見るのが一番であることはいうまでもありません。リュートについても、ご存じのようにイタリアのカラヴァジォをはじめ多くの画家が、リュートを弾く人やリュート伴奏で歌を歌っている人の絵をたくさん残していますから、それを見れば、ああなるほど、ルネサンスやバロックの人々はこんな風にリュートを楽しんでいたのか、とすぐわかります。
 ただ、素晴らしい音楽が作られ、それが広く人々に愛された時代であったからこそ、そのような絵が多く描かれたのでしょう。その意味でリュート演奏の絵が多く残されている16、7世紀は、リュート音楽と、リュート伴奏の歌がこよなく愛でられていた時代であったといえるのです。
 とりわけ、いち早く市民社会が現われつつあったイギリスでは、リュートは歌と、歌はリュートと結びつくことによって、のちのちの世にも歌いつがれるような本当の意味でのポピュラー・メロディーが定着するようになりました。
 16世紀以降イギリス社会で流行った、このようなメロディーは、もともとはさらに以前から伝わってきた民謡で、そのメロディーに物語風の歌詞を新たに付け、「バラッド」と呼ばれるようになりました。そして、16、7世紀にはバラッドはリュートで伴奏されて歌われるとともに、それだけではなく、バラッドの旋律だけを用いて編曲したリュート小品が作られるようにもなったのです。
 たとえば、私たちにも親しい〈グリーン・スリーヴス〉はシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」の中にも出てきて─なんと400年も歌いつがれてきたのです!─当時の愛好ぶりが窺えるのですが、リュート編曲もいくつか残されており、エリザベス朝のリューティスト、カッティングのものはその中のひとつです。また「私の窓から出ておいき、恋人よ/風と雨とがお前を再び返してくれることだろう」と歌われる〈行けわが窓辺より〉もそのようなバラッドで、なんと9つものリュート版が確認されています。今宵演奏されるのは、カッティングと同じエリザベス朝に生き、当時最高のリューティストであった J.ダウランドの版。素朴な旋律がさまざまな表情と衣装をまとって現われます。
 ヨーロッパの音楽史を振り返つてみると、声楽よりもはるかに遅れて確立された器楽のジャンルは、その出現当初声楽のメロディーを楽器に移し替えることから出発したといってもよく、リュートでバラッドを弾くことはそのような習慣の一つとも考えられ、しかしそれはともかく、ここでは、イギリスにおけるバラッドの定着と伝承にリュートが果たした大きな役割を強調しておきたいと思うのです。
 ところで、バラッドの歌詞の内容は様々で、〈ロビン〉はイギリスに古くから伝わるロビンフッドの伝説、そして〈ウォルシンハム〉はその名の地に祀られていた聖母マリア像とそれにまつわる歴史的出来事を歌っていたりしますが、しかし何といっても多いのは恋の歌でしょう。
 〈かなわぬ愛〉〈僕の恋人の髪の色は黒〉〈柳の園にて〉〈バーバラ・アレン〉は若者の恋、過ぎ去った日、そして若者ゆえの幼い心の表現を歌い、語ります。そんな中にあって〈ぼろぼろのジプシーたち〉は、「館も宝物もいらない/私はぼろぼろのジプシーたちと野宿する」と歌ってやや異色ですし、今宵の最後にブロークン・コンソートの伴奏で歌われる〈スカボロ・フェア〉は、恋の歌に違いないものの、「パセリにセージ、ローズマリーにタイム」という香辛料の呪文がでてきてなかなかユニークです。
 バラッドやリュート・ソングは合奏曲の中でも用いられ、また合奏を伴奏に歌われもしました。そしてリュートは、このような他の楽器とのアンサンブルの中でも活躍しました。当時のイギリスでは室内合奏とその音楽のことを「コンソート」と呼び、さらにこれを同じ種類の楽器からなる(たとえばリコーダーなら様々なリコーダーを集めた)ホール・コンソートと、異なった楽器の合奏であるブロークン・コンソートに分けて名付けました。
 〈涙のパヴァーヌ〉はそのようなコンソート作品の代表的なもので、ダウランドの作ったリュートソングの旋律をもとに、彼自身、そして多くの作曲家が編曲しました。慰めに満ちた悲しみが幾り返し流れます。また〈ある朝〉は有名なマドリカルの作曲家トマス・モーリーのマドリカルの旋律が用いられています。
 〈スカボロ・フェア〉で今宵のコンサートは閉じられますが、これらの歌を聴くと、どうしてこんないい歌がこんなにたくさんあるのだろうと今さらながら驚かれることでしょう。バラッドの特徴の一つに挙げられる、シラビック(一つの音に一つの言葉の音がついている音楽)な歌はけっして語りにはならず、むしろ叙情的な旋律が胸に染みいります。そして、リュートとフォークソング風の歌がこんなにも溶け合うことに重ねて驚かれることでしょう。澄み切った声とリュートのやわらかい響き、やさしい自然がここにあります。
 最後になりましたが、佐野さん、平井さん、そして私も、育ち、学んだ阪神間に、やさしい自然の風がふたたびそよぎ、その風に奥田さん、榎さん、室田さんたちのような若い女性の緑の袖が晴れやな表情で、ふたたびひるがえらんことを心より祈っています。

[No.2 English Ballad Mar.8]


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