網干毅のリュート夜話 その1
いろいろな時代、いろいろなところのいろいろなリュート


 この≪リュート音楽の楽しみ≫シリーズをプロデュースされている佐野健二さんのお宅のかべには、たくさんのリュートとともに中国の月琴が掛けられています。その丸い月琴はインテリアとしてその部屋の雰囲気に実によくマッチしていて、まことに美しいのですが、それとともに、中央アジアで生まれた楽器が西に行ってリュートになり、東へ伝わって月琴(さらに東へ行くと日本の琵琶)になったという、日頃よく耳にする説明を一目で理解させてくれもします。
 けれどもこれが、月琴ではなく三味線であったとしたらどうでしょうか。私たちの多くはやや違和感を抱くかもしれません。ところが今日最もよく用いられている楽器の分類法では、弦を支える棹と共鳴胴がつながっており、複数の弦が作る水平面が共鳴胴と平行になっている楽器を「リュート」とし、三味線も「リュート族」にいれられているのです。特に、いわゆるリュートと三味線は弦を弾いて音を出すことにおいて共通しているため、「リュート族」の中でもより近い楽器とされています。
まだ多少違和感が残るかもしれませんが、言われてみれば確かにそうで、その昔同時多発的に音の出し方についての同じアイデアが生まれたのか、あるいはある楽器が伝播して各地で変容したのか、現在も世界のあちこちに同じコンセプトをもった楽器が使われていることは事実で、西洋音楽の文派の中でのみ知られがちなリュートも、このような広い視野において跳めてみる必要があることを忘れないでおきたいものです。
 ところで、その伝播という意味では、西洋のリュートは、lute (英)、luth (仏)、laute (独)という綴りがアラビア語の al'ud に由来するように、イスラム下のイベリアと十字軍を通してヨーロッパにもたらされたものです。そのためリュートが描かれている資料は中世の12世紀以降にのみ現われます。
 中世でのリュートは、プレクトルム(爪)を用いてはっきりとした音を出し、主にアンサンブル、あるいは声楽をなぞるアンサンブルの中で単旋律を弾く楽器として使われたようです。プレクトルムを指でつまむので和音が弾けなかったのか、はたまたその逆はわからないのですが、リュートは、ルネサンスになるとこの弾き方が捨てられ、全ての指で弦をはじいてやわらかな音を出すとともに、和音の音楽も、ポリフォニックな音楽も奏でられるソロ楽器として、人間の声に次ぐ高い地位を与えられるようになりました。リュートをつまびく宮廷人の姿は私たちの目にも絵でおなじみですよね。
 ルネサンスにおけるリュート音楽の発展は、1507年に史上初の印刷タブラチュア(主にリュートで使われる特殊な楽譜)が現われているように、まず16世紀初頭のイタリアから始まります。今宵その音楽が演奏されるF.daミラノはその代表者といえましょう。ファンタジアというジャンルはすでにこの時代から現われていますが、この頃のファンタジアは当時の声楽ポリフォニーを模したもので、まだ充分に器楽的なイディオムが開発されてはいません。ちなみに、今宵はルネサンスとバロックの、リュートのためのファンタジアが多く演奏されますが、ルネサンスとバロックのファンタジアは、"ファンタジー"という言葉から私たちが連想する「幻想的」という雰囲気よりも、ポリフォニックに織られた音楽であるという意味の方が強いと思われます。
 さて、イタリアに始まったリュート音楽の興隆は、16世紀後半にはフランスやイギリスに及び、おびただしい数の曲が多くの作曲家たちによって生み出されました。フランスのリューティスト J.-B.ブザールが1603年にケルンで出版した「ハーモニーの宝庫」という曲集には、当時の代表的作品が400曲余載せられており、その隆盛を垣間見ることができます。
 イギリスにおけるリュート音楽は、16世紀末のエリザベス朝に頂点を迎え、その代表が今日のプロローグとエピローグにその曲が演奏される J・ダウランドです。シェイクスピアと同時代人の彼は望んだエリザベス女王付のリュート奏者になることができず、他国で活躍しますが、自他ともに認める第一人者でした。
 ところで、ヨーロッパの中で、スペインだけは洋梨形のリュートはあまり好まれず、ビウェラという、同じリュート族でありながら、ギターのように中央が少しくびれ、背中が平らな楽器が栄えました。ビウェラ・ダ・マーノとは、当時のギターよりもコース数が多く、また指で弾く楽器で、ミランやムダーラといった音楽家がこの楽器のために多くの作品を書き、他国よりもはやく器楽曲独自のジャンルを確立したのです。
 ルネサンスの末期から17世紀のバロック時代にかけて、リュートは大型化し、多彩な表現を求めてコース数を増やしていきました。また、音域の拡大を狙って、低音のドローン弦(一定の低音を鳴らす弦)を付加するアーチリュートという変形リュートも現われてきました。ただ、アーチリュートの定義は難しく、キタローネやテオルボなどを総称していう場合もあります。
 このキタローネの名手がカプスベルガーで、ドイツ人の彼は生活の大半をイタリア・ヴェネツィアで過ごした音楽家です。
 バロン、ヴァイスもドイツで活躍した音楽家で、ヴァイスはリュートのための組曲をたくさん残しました。しかしヴァイスが、あの大バッハとほとんど同じ時期にその人生をおくったということを知れば、おのずからリュート音楽の運命もおわかりになるでしょう。事実、それより以前からリュート音楽は重んじられなくなり、ヴァイスの作品はいわば残り火のようなものであって、ついにリュート音楽の命は一旦果てたのです。

[No.1 Lute Fantasia Jan.11]


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