クリスタルチャペルコンサート
Young Musician's Series No.2
浅海恵理チェンバロ・リサイタル ERI ASAMI Cembalo Recital
チェンバロ音楽の繁栄 The Golden Age of The Harpsichord
2000年2月25日(金)P.M.7:00

2000.1.28.


浅海恵理プロフィール
 大阪音楽大学作曲学科楽理専攻卒業。大学受験時にリュート歌曲やチェンバロといった古楽に出会い、大学入学時より本岡浩子、井岡みほの各氏に師事し、本格的にチェンバロを始める。バロック・アンサンブルの授業ではアンサンブルを経験し、学内の古楽コンサートにて毎年演奏する。学外ではアーリーミュージックカンパニーの「EMCの集い」にて通奏低音を受け持ち、研鑽を積む。
 各地のマスタークラス及びサマーコースにて、フランソワーズ・ランジュレ、ミッチ・メイヤーソン、アラン・ジェームス、フランソワーズ・マルマンの各氏にレッスンを受ける。大学卒業後、「FMみのう」にてライブ演奏、大阪音楽大学オペラハウス「ニューイヤー・ストリングコンサート」出演等、ソリスト、通奏低音奏者として活動を始める。
 現在、大阪音楽大学作曲学科楽理専攻 教育助手。



Programme

<Part I>

《Henry Purcell パーセル 1659-1695 》
グラウンド ハ短調 Ground in C minor
レスン組曲 ハ長調 Suite of Lessons in C major
プレリュード〜アルマンド〜コラント〜サラバンド〜ジグ
Prelude - Almond - Corant - Saraband - Jigg

《Francis Couperin クープラン 1668-1733 》
羽虫 Le Moucheron
セール・モニク Soeur Monique
ティク・トク・ショック、あるいはマイヨタン Le Tic-Toc-Choc ou les Maillotins

《Jacques Duphly デュフリ 1715-1789 》
シャコンヌ Chaconne
メデ Medee
<Part II>

《Johann Jakob Froberger フローベルガー 1616-1667 》
トッカータ ニ短調 Toccata in D minor

《Jean-Philippe Rameau ラモー 1683-1764 》
溜め息 Les Soupirs
喜び La Joyeuse
意気揚々 La Triomphante

《Antoine Forqueray フォルクレ c1671-1745 》
第1組曲 ニ短調 Suite no.1 in D minor
アルマンド/ラ・ラボルド〜フォルクレ〜コタン〜ベルモン〜ポルトガル人〜クープラン
Allemande/La Laborde - La Forqueray - La Cottin - La Bellemont - La Portugaise - La Couperin

プログラムノート/浅海恵理

 チェンバロは、今から約300〜400年前の時代(17〜18世紀)にヨーロッパで、現在のピアノが一般的に普及されているように、宮廷やサロン等で広く使われていました。楽器の構造はトリの羽軸などで、作られた爪によって弦を下から上へとはじいて音を出す為、強弱が付きにくく音量もあまり出ません。その為演奏の場は宮廷やサロンなどの場所が適切だったと言えるでしょう。しかし、次第に人々が音楽に大きな音量を求めるようになり、チェンバロはその流れについていけずに強弱の出せるフォルテ・ピアノ(現在のピアノの前身)へとバトン交代せざるを得なくなったのです。そしていったんは完全にすたれたもの、今世紀に入り復興され、現在ではチェンバロの音色を耳にする機会も少なくないのではないかと思います。又一般的に「チェンバロ」と呼ばれていますが、実は同じ楽器でも国によって呼び方が異なります。イギリスでは「ハープシコード」、フランスでは「クラヴサン」ドイツでは「チェンバロ、キールフリューゲル」と呼ばれています。
 H.パーセルはイギリスの作曲家・オルガニストで、イギリスのバロック音楽を代表するだけでなく、現在に至るまでのイギリス音楽史上、最も傑出した作曲家の一人に挙げられます。彼は36歳の若さで世を去るまで、あらゆる分野において優れた作品を残しました。メロディーの美しさと英語の特質を十分に熟知した声楽曲に傑作が多いのですが、鍵盤曲にも独自の世界を作り出しています。
 F.クープランはフランスの作曲家・クラヴサン奏者・オルガニストでフランスの最も重要な音楽家の一人であり、ラモーと共にフランス・クラヴサン音楽の絶頂期をもたらしました。後にバッハ、ヘンデルらに影響を与えたとも言われています。彼の書いたクラヴサン演奏論の「クラヴサン奏法」は教則本としても高く評価されています。
 J.デュフリはフランスのクラヴサン奏者、作曲家。彼は若い頃オルガン奏者として、幾つかの教会でオルガニストを務めましたが、クラヴサンを好んだ彼は、パリへ移りクラヴサンの専門家として活躍しました。4巻のクラヴサン曲集を出版しましたが、彼が主に手本としていたのはラモーのクラヴサン音楽で、作品全体にはラモーの強い影響がみられます。
 J.J.フローベルガーは、ドイツの作曲家・オルガニストで、17世紀半ばにおけるドイツの卓越した鍵盤音楽の作曲家です。フレスコバルディの弟子でウィーンの宮廷オルガニストを務めました。彼はヨーロッパの国々を演奏旅行し、イタリア、フランス及びドイツの鍵盤音楽の様式を融合させ、極めて個性的な表現形式を確立しました。彼の残した鍵盤音楽は、18世紀になってもなおドイツの音楽に影響を与え、J.S.バッハやヘンデルも影響を受けたとされています。
 J.-Ph.ラモーは、フランスの作曲家・音楽理論家です。J.S.バッハ、ヘンデル、D.スカルラッティ、テレマンとほぼ同時代に活躍していました。彼はこの時代のフランスを代表する作曲家であり、和声理論の重要な改革者でした。彼は音楽理論を作曲と同じく重要であると考え、生涯にわたり追及していました。彼は生来、人付き合いのいい方ではなく誰とも深い親交を持たなかったようですが、音楽理論を語ることのみ心を開いたようです。
 A.フォルクレは、フランスの有名なヴィオル奏者です。5歳の頃から宮廷で演奏しており、7歳の時から没するまで「国王の宮廷音楽家」の地位にありました。彼はヴァイオリンテクニックの全てをヴィオルで試み成功しました。名人芸的なテクニックは群を抜いていましたが、性格は気まぐれで激しく、妻は5度も実家へ逃げ帰り、10年かかって離婚の許可を求めたそうです。また彼の息子ジャン=パティストも同じく優れたヴィオル奏者でしたが、彼は息子の才能に嫉妬して、16歳の実子を数ヶ月間牢獄に閉じこめたり、素行不良のかどで訴えて、国外追放命令まで申請したのでした。当時同じフランスで活躍していたヴィオル奏者のM.マレの作品は優美さを特徴としていますが、それに対してフォルクレの作品には機知や鋭さがあり、マレは"天使"と例えられ、フォルクレは"悪魔"とされていました。



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